02.
なぜ「生きる意味」を探すのか
なぜ、「生きる意味」が欲しいのか
前項で一般的な「生きる意味」について見てみましたが、いかがでしょうか。
様々な「生きる意味」がありましたが(最終的に5つに分類しましたが)、それらをよく見ていると、私たちが「生きる意味」を探ろうとする時、同じ理由からではなくいくつかの背景があることがわかります。
その分け方は次の通りです。
A 辛くても生きなければならない理由を探すとき
=死んではならない理由を探すとき
B 自分の人生に意味があったのか探すとき
=生まれてきた理由を探すとき
C 何のために生きたらいいかを探すとき
=生きる活力を探すとき
これら3つを説明すると、
Aは、辛くて死にたいけど、死んではいけない。
じゃあ、そんな辛いのになぜ生きなければならないのか?
という疑問からくる、「生きる意味」を探す背景です。
Bは、何かをやっていて、ふと、自分の人生に意味はあったのかと無力感を感じてしまったという背景。
Aと分けるために、これは、特別辛い思いをしたとかは含まれないこととします。
Cは、これからの困難に対してや、今後生きていくにあたって、生きるためのモチベーションのために「生きる意味」を探す背景。
子供が死んでしまったとか、今まで持っていた「生きる意味」を失ったときに感じる時などもこれに当てはまるでしょう。
このような感じです。
私たちが「「生きる意味」とは何か」と考える時、「生きる意味」という”言葉”を追い求め過ぎているのだと思います。
そのせいで、
A 死んではならない理由を探すとき
B 生まれてきた理由を探すとき
C 生きる活力を探すとき
等、複数のパターンがあることに気が付かず、自分の探している答えと違うものを探してしまっていることが、多々あるのだと思います。
例えるならば、外食する店を決めるときに、外食する”店”をどこにするかばかりに気を取られ、今自分が、「おなか一杯食べたい」「少量でいいからいいものが食べたい」「庶民的な店がいい」という背景を無視してしまっている状況と同じと言えるでしょう。
また、面倒なことに、これら3つは、それぞれが深く関係しあっているため、どれか一つだけ求めることもあれば、複合して疑問を持ち、「生きる意味」を探っている場合が多いと思います。
例えば、生き甲斐だった子供が死んでしまった。これから何のために生きればいいのか(=A)。そもそもこんなに辛い思いをしながらなぜ生きていかなければならないのか(=C)というパターンです。
これに、こんな自分には生きる意味はあったんだろうか(=B)なんて考えたら、全て当てはまりますね。
これら3つに対する答えは、私は別物になると考えています。
だから、Aで悩んでいる人に対して、Cの答えを言っても、うまくいかないでしょう。
しかしA,C両方の答えになりうるものも存在していて、運よく、Aで悩んでいても、Cの答えで解決するということがあると思います。
もうひとつ、このA,B,Cは、Aが「死ぬこと」について目線が向いているのに対して、B,Cでは「生きること」について目線が向いているということも特筆すべき点です。
この項目についてまとめると、
〇「生きる意味」を探そうとするとき、大きく分けて次の3つの背景が考えられる。
A 辛くても生きなければならない理由を探すとき
=死んではならない理由を探すとき
B 自分の人生に意味があったのか探すとき
=生まれてきた理由を探すとき
C 何のために生きたらいいかを探すとき
=生きる活力を探すとき
〇「生きる意味」を探すとき、Aだけの場合もあれば、A,B,C全ての背景を持っている場合もある。
〇これら3つは、それぞれ独立しているが、関連性がとても高いので、そのせいでややこしくなってしまっている
〇A→「死ぬこと」を意識している
B,C→「生きること」を意識している
という話でした。
この背景を知ることで、どのような答えを求めているかが明確になりますので、考察がしやすくなると思います。
では次の項では、
A 辛くても生きなければならない理由を探すとき
=死んではならない理由を探すとき
の背景から、死んではいけない理由について、考えていきましょう。