05.
「生きる意味」その1
生き物としての目的


ここからは、いよいよ「生きる意味」に踏み込んでいきます。


ではここでもう一度、「生きる意味」について考える背景を思い出してみましょう。

「生きる意味」とは何かと考えるとき、



B 自分の人生に意味があったのか探すとき
  =生まれてきた理由を探すとき

C 何のために生きたらいいかを探すとき
  =生きる活力を探すとき


という背景が考えられるのでした。




この項では、

B 自分の人生に意味があったのか探すとき
  =生まれてきた理由を探すとき

について考えていきます。


私たちが生まれてきた意味とは何でしょうか。

何かを成し遂げるため?
何かを残すため?
それとも、生まれたことそのものに意味があるのでしょうか?


生まれてきた意味を考えるとき、上記二つのような、”使命感”が目を引くことでしょう。


「私は生まれてきた以上、何かを成すのだ」と。


果たして、本当にそうでしょうか?


その使命は、必ず成し遂げなくてはいけないものでしょうか


その使命は、だれに与えられたのでしょうか。


その使命は、一部の特別な人のためのものではないでしょうか。


使命感に生きることは、良いことだとは思います。


しかし、多くの使命も何も持たない人たちには、生まれてきた意味などないのでしょうか。




ここで、”使命感”が「生きる意味」になりえるかを検証するために、多少極端な状況設定にはなりますが、


Ⅰ人類最後のヒト(文明は崩壊している)


Ⅱ全ての運に見放され、不幸ばかりが起こるヒト(家族無し、友人無し、借金ありetc)


Ⅲ手も足もなく、目も耳も聞こえず、常に苦痛に襲われながら寝たきりのヒト


という人たちの場合を考えてみましょう。

(なお、これは例であり、特定の人物についての描写ではありません。)

このヒト達に課せられた使命とは何でしょうか。



生まれてきた以上、これをしなくてはならないと考えられるものにはどんなものがあるかを考えてみましょう。


初めの項で出てきた、「一般的な生きる意味」と被る部分が多くなりますが、


・種の存続を行うこと(生殖活動を行うこと)
・文化を発展させること
・誰かの役に立つこと
・社会の役に立つこと
・生きた証を残すこと
・誰かのカタキを討つこと   等々


これらの詳細な考察は省きますが、これらすべて、Ⅰのヒトの時点で不可能なものばかりなんですよね。


だから、当たり前のように考えられている使命感というのは、実は人間が作り出したもので、最後の一人になった時点で機能しなくなるものばかりなんです。


種の存続、とくに人を増やしていくことはできません。


文化を発展させても引き継ぐ後継がいません。


役に立てる誰かがいません。


社会は崩壊しました。


文明が崩壊する前にいたカタキなら死にました


かろうじて、生きた証は残せるかもしれませんが、それに何の意味があるでしょうか。(その証を確認する人がいません)

それでも、この最後のヒトは生きていくことになる。

であれば、このヒトの「生きる意味」とは何なのか。

少なくとも、与えられた使命ではないことが分かります。

他にも使命というのはいくらでも出てくるとは思いますが、Ⅰのヒトで当てはまるものがあったとしても、Ⅱ、Ⅲのヒトで全て棄却されるのではないかと思います。


次に、この人達に、01の項で出てきた「一般的な生きる意味」を当てはめてみましょう。


もしかしたら、生まれてきた意味を探れるかもしれません



01で紹介したものには、

①生きることは義務である
A5 A6 (A13)

②生きることは素晴らしいことだ
A8 A9 A10 A11 A14




③生きなければいけない使命がある
A1 A2 A7


④生きていたいと思う理由がある
(A2) A3


⑤生きる意味なんて存在しない、生きることは辛いことだ
A4 (A6) A12 A13

というものがありました。

上から見てみると、

①生きることは義務である

A5.生き続けるため
A6.死んだら家族(もしくはだれか)に迷惑がかかるから
A13.生きるしかないから

といった「生きる意味」がありました。

そもそも、”義務”というのは、人間が作り出した概念だと思われます。


「生きなければならない」ということは、人間社会を離れ、自然界において本来存在していない概念でしょう。


なぜならば、生きろと言われて生きているわけではなく、極端に言えば、生きようとしなければ、結果的に死ぬだけだから、生きようとしているわけです。


(だから、「死にたくないから生きている」「死ねないから生きている」という言葉が出てくるわけですが、これについては、前項で言ったとおりです。)



となれば、生きることを強制されていない、『Ⅰ人類最後のヒト』には、この「生きる意味」は通用しないでしょう。


だれからも生きろとは言われず、生きるかどうかは完全にこのヒトに委ねられているといえます。


②生きることは素晴らしいことだ

A8.生きていることは楽しいから
A9.すべてがうまくいっているから
A10.世界は喜びに満ちているから
A11.人は幸せになるために生まれてきた。
A14.生きる事はありがたいことだから


以上の言葉を、上で上げた人達

Ⅰ人類最後のヒト

Ⅱ全ての運に見放され、不幸ばかりが

起こるヒト(家族無し、友人無し、借金ありetc)

Ⅲ手も足もなく、目も耳も聞こえず寝たきりのヒト

に伝えられるでしょうか。


例えば、楽しいと感じるのは、どのような時ですか?

おいしい食べ物を食べている時?

体を動かして遊んでいる時?

ゲームや趣味に没頭している時?

何かを達成した時?

仲のいい誰かと一緒にいるとき?

それらは、多少なりとも満たされている状況だからこそ言えることです。

Ⅰのヒトは、おそらく生きることに必死でしょうし、人間の文化がなくなった状況で、モノなどは存在していません。

そもそも、この人達だけでなく、現実においても、過去と未来では物の質も量もちがうのですから、今目の前にある”モノ”が「生きる意味」となるのであれば、過去と未来ではその「生きる意味」が消失してしまいます。
例えば、「このゲームで遊ぶことこそが「生きる意味」だ!」というのであれば、そのゲームが存在していない過去と未来では、「生きる意味」が消失してしまいます。
同様に、子供や仕事といったものも、絶対的な「生きる意味」にはなれないでしょう。


よって、人が作り出した”モノ”を、「生きる意味」としてしまうのは、あまりに早計です。


過酷な状況に置かれているⅠ~Ⅲの人たちに、

A8.生きていることは楽しいから
A10.世界は喜びに満ちているから
A11.人は幸せになるために生まれてきた。
A14.生きる事はありがたいことだから


といって納得させるのは難しいでしょう。


過酷な状況に置かれている時、目の前にない快楽のこと目を向けることは難しいです。


あなたがとてつもない腹痛で苦しんでいる時や、病気で臥せっているときに、やっぱり世界は喜びであふれてるな!と思うのだったら、病院に行くことをお勧めします。


この人達と同じ状況において、同じ言葉が吐けるのか考えてみてもらいたいものです。

③生きなければいけない使命がある

A1.子孫を残すため
A2.子供のため
A7.先祖代々の血を絶やしてはいけないから。


Ⅰのヒトの段階で、これはすでに実行不可能になりましたね。


Ⅲのヒトも難しいでしょう。

なので、確かに、社会において、あるいは人という種の存続において、これらは”大事な目的”ではあっても、厳密にいえば必要のないことでもあります。


先祖代々~なんかは特に、人間社会の、人間の作り出した価値観にすぎませんよね。


その人がそうだと思わなければ成り立たない、典型的な「生きる意味」です。


もしこれが、人類普遍の生きる意味だというのならば、Ⅰのヒトは、何のために生きるのでしょうか。


まさか、「生きる意味はないのだから早く死ねばよい」などとは言いませんよね?

また、子供を作れない人や、使命を持たない人にとっても同じ意味ことでしょう。


使命が人類普遍の「生きる意味」であるならば、それを持たない人に「生きる意味」は存在していないことになります。


まぁ、だからこそ、そういうことを大事にしているだけの人たちから辛い言葉を浴びせられるのでしょうが、その人たちは、その環境のことしか考えられない、何も分かっていない人たちですので、さっさと距離を取るべきでしょう。

​使命を失っても、人の生活は続くのです。




④生きていたいと思う理由がある

A2.子供のため
A3.お金のため


01ではわかりやすくするために、この項目は子供、お金といった即物的なことしか取り上げていませんでしたが、

もっと抽象的なものも含みます。


例えば、前出している、先祖代々の血もそうでしょう。


使命のためではなく、自分が血を残したいと思うから、そうしているという状況です。


この「生きる意味」の対象は、人によって様々です。

ですが、これら、お金や子供といったものを持たない人はどうでしょうか。


基本的に、人間社会・価値観が生み出したものを「生きる意味」とするのは、前に話した通り、普遍的なものとするには間違いでしょう。


文明がなくなったⅠのヒトによって全て否定されます。


ですが、何かのために生きたいという思い、それは、Ⅰ~Ⅲのどの人にも当てはまりそうですね。


ここについては、次の項で話をしましょう。


⑤生きる意味なんて存在しない、生きることは辛いことだ

A4.生きるため

A6.死んだら家族(もしくはだれか)に迷惑がかかるから

A12.死ねないから、死ぬのが怖いから
A13.生きるしかないから


このことについては、02,03でもお話しした通り、​死ぬことが禁止されないならば、生死はその人の選択によってなされます。


辛いのになぜ生きようとするのか、それを見つけるために考察をしています。






以上のように、これまでに上げてきたことをみても、だれにでも会うような「生きる意味」、特に「生まれてきた目的」というのは見当たらないように思えます。


では、この項目の序盤で少し出てきた、「生きていることそのものに意味がある」ということについても考えてみましょう。



「あなたが生きていてくれているだけでいい」
「生まれてきてくれてありがとう」

そんな言い回しをよくききますね。


果たして、生まれてきたことそのものに意味があるのでしょうか。


あるのだとしたら、どのような意味なのでしょうか。


そしてもし、それが真実であるとするならば、生きているそれだけで、本当に許されるのでしょうか。


「生きていてくれてるだけでよい」と言っても、働きもせず、悪事ばかり行い過ごしていたとしたら、その言葉を言った人はまだそれを言い続けられるのでしょうか。


悲しいことに、「生きているだけでよい」という言葉には、「正しく生きている限り」といった類の前提条件が付くのだと思います。

ましてや、ⅠやⅡのヒトに、そんな言葉をかけてくれる人はもういません。


生きているだけでよいと認めてくれる人がいなければ、この理論は崩壊するのではないでしょうか。



「私はあなたが生まれてきてくれてうれしい」という言葉は、その相手の視点からの言葉であって、それが通るのであれば、その人の「生きる意味」は、「その相手が嬉しいと感じるから」と規定できます。


その人が生きているのは、生まれてきたことを喜んでくれているからなのでしょうか。


その相手のために生きているのでしょうか。


生まれてきたことそれだけで祝福されるのだというのならば、なぜ、育児放棄というものが起きるのでしょうか。


社会はなぜ、「生きているだけ」を実施することを許さないのでしょうか。


「生きてきたことそのものに意味がある」という言葉も、どうにも納得できない点が多すぎます。

 

困りました。


生まれてきた意味を探る手駒が付きました。


そのほとんどがⅠのヒトによって否定されてしまいます。


Ⅱ、Ⅲのヒトたちについても同様でしょう。


このままでは、Ⅰ~Ⅲのヒトたちは、生まれてきた意味がなくなってしまいます。


本当に、意味などないのでしょうか。





そう、確かに、これまでの考察では「生まれてきた意味」が見当たらないのです。


ですが、まだ私たちは、”社会”という枠を超えて、考えきれていないのではないでしょうか。



Ⅰのヒトを考えてみてください。


人類最後となったこのヒトは、社会や人間の種といった枠から解放されています。


誰かの役に立つ、社会の役に立つといった構造から解放されています。


であれば、このヒトと関わりがあることとは何でしょう。

そう、人ではない、他の生き物です。


もっと大きく言えば、自然界です。



スピリチュアルでも、ネイチャリスト的な話でもなく、ただただ事実として自然界との関わりついて考察してみましょう。

このヒトは、生きるために、植物や動物を殺すでしょう。


生活するために、木を伐り、植物を採り、水を汚すでしょう。


しかし、このヒトの出した排泄物や、植物や動物の食べられない部位などは、それを必要とする別の生き物の糧となります。


木を伐り、水を汚すことで、そこの環境に適した生き物がそこに住みます。


もしかすると、犬のように、生活を共にするパートナーができるかもしれません。


目に見える生き物だけではありません。


気にかけていない虫や、微生物を生かしているでしょう。


人の体の中や表面にも、たくさんの菌が存在しています。


そして、いつの日か、このヒトが死んだ場合、その亡骸を食べることで、生きられる生き物がいます。


このヒトを構成していたモノは、世界の一部に還元されて、また世界を構成するのです。



そう考えると、このヒトが生きることは、自然界においては、役に立つことなのです。


このヒトがどんな人物であろうと、天才だろうと、凡人だろうと、悪人だろうと善人だろうと、何かを残そうと残さなかったとしても、そういったことは関係なく、自然界の中で役割を持ち、役に立ったのです。



私たちの今の生活は、自然界から離れて久しく、そういった循環の一部である実感を忘れてしまっています。


ですが、この自然界の関係とは、どれだけ自然から離れようとも、切られることはありません。



それは、私たちがそうでありたいと思おうが、そうでありたくないと思おうが関係なく、「そういう役割である」ものです。


重力によって動きが制限されるように、動くためにはエネルギーが必要なように、私たちはその仕組みの中に組み込まれているのです。


社会の価値観、人間の価値観など関係なく、人が物理法則に従うように、逃れられない役割なのです。


その役割を全うすることが、”生き物としての「生きる意味」”ではないでしょうか。



先ほど否定したばかりの言葉ですが、視点を変えると、

「生きていることそのものに意味がある」


という言葉が力を持ってきます。


たとえどのような状況、どのような生き方であったとしても、この考え方であれば、生まれた、生きた、死んだことが意味を持ちます。


社会に貢献していてもいなくても、働いていてもいなくても、善人でも悪人でも、そのような価値観とは別次元な話で、かつ根底にある事実です。


生きているだけで意味を持つのです。

綺麗事だろうが、あなたがどう思おうが、それはすでになされていることであり、役に立っているかどうかはともかく、関わりあってしまっているものなのです。


どんな形で死のうと、生まれてきた以上、役割を果たしたのです。



Ⅱ、Ⅲのヒト達についても当てはめてみましょう。

このヒト達は、社会にとって、特別有益なことを残したわけではないかもしれません。


しかし、このヒト達がいきていたことで、殺した命と、生かされる命があります。


そしてそのことによって、機能していた世界があったのです。


良し悪しではありません。


良し悪しという、人の価値観の外で見たときに、それは完遂されているのです。​



これを、ひとまず

「生物としての生きる意味」

と呼称しようと思います。


そう呼ぶのは、


B 自分の人生に意味があったのか探すとき
  =生まれてきた理由を探すとき


という問いには、これで答えられても、


C 何のために生きたらいいかを探すとき
  =生きる活力を探すとき


には答えられないからです。



それは、人の意思が絡んでくるからだと思います。


だって、「あなたはこの世界の生き物として十分に役目を果たした」なんて言われても、満足できないじゃないですか。


だから、


「生き物としての生きる意味」とは別に、


「ヒトとしての生きる意味」が存在するのだと思います。




この項目についてまとめると、



〇Ⅰ~Ⅲのヒトについて考えると、使命などでは意味を見出せない。


〇「一般的な生きる意味」は、状況によって存在できたり、できなかったりする。


〇生まれてきた意味とは?
 →世界の一部として機能すること。
  そしてそれは、どんな生き方であろうと達成される。
  これを、「生物としての生きる意味」と定義する。


〇生まれてきた意味が分かっても、「生きたい」とはならない。
 「生物としての生きる意味」は、Cの答えにはならない 



という話でした。




次の項では、「ヒトとしての生きる意味」を考察していこうと思います。

 

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